旅をするのが好きなわけじゃないと思う。
日常から離れる感覚が、好きなわけでもない。ただ、逃れたいだけだ。
日常から逃れて何をするのかと言えば…観光? それともちょっと違う。お金があるわけでもないし、人混みが好きなわけでもない。有名な観光地に行って感動することだってあるけど、毎回そうしたいというわけじゃない。
ただ、ちょっといい宿をとる。汚さは苦手だし、狭いのも好きじゃない。そこそこに清潔で、狭すぎない宿を、できれば少し郊外が良い。中心部は高いから。そして宿に向かって旅をするんだ。歩いて、バスや電車に乗って。その時、自分の日常を離れる。
そして別の誰かの日常に触れる。
工業団地を通る。たくさんの人の仕事の気配がする。いや気配というか、車だ。車が並んでいて、ここにはこんなにたくさんの人がいるんだと思う。アパートが立ち並んでいる。ここの人たちが、さっきの場所で働いているのかなと思う。スーパーがある。夕食の買い物をする人、今晩のお酒を買う人、お菓子を求める子供連れ。ここにもたしかに誰かの日常はあって、同時に、自分の非日常でもある。いや、違う。俺は非日常にいるわけでもない。どこにもいない。仕事という役目の歯車を外れた自分は、いないのと同じだ。
なんにでもなれると思っていた若い頃、その時間は長くなかった。中学の頃にはもう諦めがあった。でもそれはまだ甘い諦めで、有名にはなれなくても、自分の両親のようにごく普通の幸せまでは疑わなかった。自分の両親は普通ではなかった。私はとても幸せに育っていた。
どこかで間違ったわけじゃないと思う。一つ一つは小さく、きっと色んなことを間違えた。人はみんな色んなことを間違えていて、けど正しいこともして丁度よくなっていくのだろう。或いは正しいことがいっぱい、多い人なら、子供の頃諦めたようなデカいヤツになれたのかもしれない。
今の自分は、わからない。不幸せなわけじゃない、と思う。幸せかと言われると、いやでもきっと幸せな方だよと理性は言う。周りを見れば、戦争はある。大きな事故や病気はある。そういう不幸せに遇っていないのだから、きっと幸せな方だよと言う。そう思う。
でもふと。こうして旅をすると、非日常でもないなにかを、どこにもいない自分として見ると、どうしてこうなっているのだろうと思う。
一人でいるのは好きだし、誰かといるのは大変だ。大好きな人たちといるのですら、面倒だと思ったりするし、一人になりたいと思うときもある。でもそれを乗り越えた人だけが、こうはならずにすんでいるのかもしれない。乗り越えなかった、乗り越えられなくて、乗り越えようとしなかったから今私は、こうして独りなのかもしれない
分かっていても、変われないと思う。誰かといるのはすごく大変だ。毎日仕事に追われ、苦しみながら、一人の休みをのんびり生きて、気付けば7年が経っていた。早い。けど多分先は長い。両親は先に死ぬだろう。弟は家庭を持てるだろう。友達は多くが既に疎遠になった。その気がなくとも、会う機会は減る。これからももっとだ。少しだけ好きだった女性もいたし、今も会うこともあるが、きっと誰かと結婚して会わなくなっていく。こうして変わらない私だけが、ずっと独りで、毎日に追われて、一年に一回くらい、こうして寂しくなるんだろう。
どうなりたかったのかは、もうよくわからない。