涙色

思うままに、意のままに。

かかえきれないもの

小学校、中学校は何事もなく過ごした。
勿論そこにも物語はあった。土日まで自主連を、友達と一緒に練習することそのものが楽しかった部活動や、今でも大切な友人たちとの出会いがあった。ある意味この頃が人生で最も楽しかった時期なのかもしれない。
高校に入るとき、二つの進路で悩んだ。一つは地元の進学校。と言っても、地域では一番の、という程度だ。家族も親戚もそこの卒業で、私の仲良しのうちの一つのグループもまるまるそちらを志望していた。もう一つは工業高校。もう一つの仲良し達はそちらの志望で、情報・電気分野に興味があったのと勉強が嫌いだったことから、進学校よりも気持ちが傾いていた。先生や親から、はっきりとやりたいことがないなら潰しが効くほうがいいと言われ、自分でも考えた末に進学校に進んだ。
中学までは成績がよかったから、授業は聞いているだけで試験で点がとれた。高校に入って成績は落ちた。よくいる凡人だ。勉強に追われ、部活にも全力で、でも趣味も捨てなかった。フラフラになって帰宅して宿題をやって、寝る前にゲームをしていた。朝はもちろん朝練だ。授業で寝ていては、成績が上がるはずがなかった。プライドだけで上を目指したが、成績は落ち続けた。
身体を壊した。寝ていないのだから当然だ。二度、三度と壊すうちに心も壊れかけて、逃げ出した。思えばはじめて、完全に逃げた。ここで逃げなければ、今なにか違ったのだろうか。逃げた私は漸く先のことを考え始めた。そしてすぐ目を背けた。できない自分を直視したくなかったし、嫌な未来など考えたくなかった。
それでもなんとか考えた。本が好きな私は、文学部なんていいなと思ったが、文学部というものは結構レベルが高い。レベルが高い大学にしか無いからだ。あったのかもしれないけど、面倒臭がった私は調べなかった。はじめから地元か、一度住んだことがあるとある県にしか興味がなかったし、家庭の事情で国公立しか選択肢になかった。国公立がそもそも危うい分際で、旧帝大なぞ目指せなかった。もうプライドも砕け始めていた。理科科目ができない、というひどい理由で電子情報も諦めた。ここから自分の人生を後悔し始めた。もう遅かった。もう一つ、父と話すまちづくりが、父が語る都市計画が、みんなの中心に立つ父の姿が好きで、憧れて、その道を目指すことに決めた。大学の場所、ギリギリではあったけどレベルも共に満たせていて、頑張って勉強して国公立に滑り込んだ。思い返すと必死ではなかった。当時もわかっていた。
大学の最初の一ヶ月とその変化は今でも覚えている。アウェーの地に一人、知り合ったのはパリピばかりで、大学に行きたくないと家族の前で泣いたこともある。その後出会えたあの女性は本当に救いだった。付き合ったとかそういう話じゃない。あいつが繋いでくれなければ、俺はきっと一生大事な友人たちに出会えていない。あいつのおかげで、おかげで出会えた人達によって、苦しいことも大変なことも多かった大学生活がそれでも幸せだったと言い切れる。
大学を越えた、軽い気持ちで入ったインカレの団体で、もう一つ大事な出会いがあった。素晴らしい人達だった。眩しくて、強烈だ。尊敬できて、彼らといるととても面白くて、最高の人たちで、そしてすごく居心地が悪かった。彼らといると、自分の駄目な部分がよく見える。如何に中途半端か、どれだけ弱い人間なのかがはっきりする。彼らの中にいる自分がただただ恥ずかしかった。それでも、繋がりが切れてしまうのが怖くて、惜しくて、苦しいとわかっていながら何度もそこに足を運んだ。社会の常識上、というよりそれまでの私の価値観からすれば、褒められる人達ばかりではなかった。安定していない職業なのは私にとって理解できない人種だったし、浪人したメンバーも多かった。不登校気味になった時期もあるだろう。
本当に申し訳ない、しかし皮肉でもなんでもなく、私は彼らを羨ましく感じていた。彼らは自分たちなりに本気で苦しんで、どう考えても今のこうしてブログを書く私なんかよりずっと追い詰められて、為すすべもなくなっていたのだろうとわかる。それでも、思ってしまった。小6、中3、高3、間なしで大4、既に働く場所も決まった時の私には、レールを外れる勇気がなかった。勇気を出したから外れたのではない人達ばかりだろうし、羨ましいなら変われという話なのだろうが、そう、今でもだ、私はレールから逃れられない。捨てられない。なんとか今の生活を守ろうと、レールの上だけを慎重に生きてきた。自分で選んだものも含めて、レールがないと生きられなくなってしまった。
高校のとき、睡眠時間を削り、体を壊しながらもゲームをやった。ゲームや、アニメや漫画、スポーツ観戦も好きだし、歌うことも好きで、本は自分でも書く事もしたい。ゲームを作ることにも興味が出てきた。勉強したいこともある。仕事でお金を稼いで、趣味は趣味として一生楽しもうと、選んだ仕事に苦しめられた私は今、趣味を楽しむことができない。
自分でも、何がよくないのかわからない。ただ、仕事中ずっと息苦しくて、帰ってくるとベッドから出れなくて、ゲームは楽しくなくて、テレビはつけもしないで、パソコンの前には座れない。疲れ切っているのだろうか?今日初めて職場で泣きそうになった。今、実家に暮らす私だ。大学を決めるときにも考えた尊敬する父が仕事を頑張る中、大事な母のその細腕に大きな迷惑をかけながら、自分は何をやっているんだろうと思った。家に帰ってからはもう何度も泣いた。愚痴を溢してしまった。そのたびに両親は聞いてくれた。励ますでもなく、ただ会話をしてくれるのがどれだけ心安らぐか。それでも翌日、またぼろぼろになって帰ってくるのだ。
別にハードワークじゃない。デスクワークでどうハードなのだ。ほぼ定時だし、休みもたまには取れる。取りすぎて取り過ぎだと聞こえるように言われた。人間関係はしんどいが、皆が皆しんどい人ではない。きっと恵まれた環境だけど、駄目だ。やりたかったはずの仕事を振られたとき、心底嫌だったのだ。大学に入ってすぐ、なんとなく、好きじゃないと気付いた分野。気づいたときにはもうこれしかできなかった。じわじわと、苦しくなっていく。数カ月前まではため息ばかりだった。ついこの間までは愚痴で済んでいた。何故か涙が出るようになった。趣味を、楽しく思えなくなった。食べることと寝ることだけが癒やしだ。見る間に太った。情けなくて、格好悪くて、またストレスだ。もっと太った。
でも逃げられない。レールを外れられない。お金がない。お金がなければ好きなことはできない。でも今でもできてないじゃないか?いつかは、結婚も、したい。お金がなければきっと出来ない。働くしかない。辞められない。そもそも今の環境より次がいい保証がない。石橋を叩きまくってから渡るか考える男だと思っている。いいとは思わないけど、こればかりは変えられない。自信がない。覚悟がない。俺は幸せでいたいだけなのに。なりたいんじゃなく、ずっと幸せでいたいのに。どうしたらいいのかは、わかっていない。書くことでどうなるかもわからない。でももう耐えられなかった。抱えられなかった。他人に出来ることが私にできるとは限らないから!稀に見るクソザコ野郎なのだ。わからないから書いた。少し、気が晴れた。意味はあった。兎に角、明日をまた乗り切らなければならない。

 

※本記事は,別ブログ「ポッと出に敗れる」にて2019/10/7に投稿していたものです。