涙色

思うままに、意のままに。

シンエヴァを見てきたんですよう……

※この記事は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のネタバレを大いに含みます。

 どうも、皆様お久しぶりです。
 シンエヴァ見てきました。一人で。そんで、誰も話す相手がいないのでここで発散します。
 ネタバレしてますし、この記事自体は考察とかもほとんどしてない自分語りに終始しておりますが、誰か読んでください……そしてあなたの思いの丈を教えてください。

 それでは、ネタバレをしていきます。






























 見鑑賞の人、いないですね? しますよ~ネタバレをします。







































 NTRは駄目だってあれほど言ったじゃないか!!!!!!!!!!

 いや~結局これなんですよね。結局これなんですよ(2回目)。アヤナミが人間らしさを知っていくところやその最期。ミサトさんとの和解……和解とも違うけど、理解かな。マリに関しても語れることは諸々、色々ありましたけど、結局これなんですよ3回目。見終わってからはずっとアスカのこと考えてましたよ恋なのか? これが恋か、いやこれはきっと恋じゃないって映画でした。多分違うわ。
 そもそもこれはNTRじゃねえわ~って人、私基準ではヒロインが主人公意外とくっついたら大体NTR判定なのでそういうもんだと思ってください、メインヒロインサブヒロインだのの概念と真っ向から戦う形だけどしょうがないじゃない。

 話を戻しまして、まず、こちらの考察をご覧ください。どうでもいいですが記事執筆してる現状、映画本編とこれらの考察のみ履修してる状態です。パンフは買ったけどまだ読んでません、心のキャパが足りてねえんだよな。
 ……許可得てないけどURLって貼っていいのかな。駄目そうなら誰か教えてください、消します。

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 確かこれ以外にももう一つの記事が参考になった気がするんだけど、見つけられなかったので泣く泣く割愛。
 これらの考察を読んで、すごく納得しました。特にアヤナミに言った「綾波シリーズがシンジに好意を持つよう設計されている」ってのが式波であるアスカ自身にも当てはまり、その運命からの脱却が描かれている「大人になる」ってことなんだ、っての。その通り過ぎるんでしょう、きっと。心がついていってないだけです。ただ、最後の海でのやり取りをしたアスカは惣流じゃないかって話もTwitterで見たんですけど、これはどうやろうね? 最初は僕もそうかもと思ったんですが、この流れだとちょっと意味わかんなくなるかなあと。親が分からず居場所を求めていたアスカと、ケンスケのもとに居場所を見出したアスカはあくまで式波であって、惣流ではないはず。その後式波がエントリープラグ内で目を覚ましたとこからもそう考えます。まあ、全てのエヴァに別れをって意味では、惣流も含めたアスカをシンジと切り離したかったのかもしれませんが。あとケンスケのもとに……って書きながら血の涙が出てきましたよ僕は。
 現実的には、あれはエヴァの呪いが無かった場合の本来の=28歳の式波アスカだったけど、シンジ(と、庵野監督)は惣流も含めたアスカに語り掛けていたって解釈になるんですかね。

 あと地味に結末がよくわかってなくて、最後駅に主要キャラ揃ってたじゃないですか? あそこで唐突なカヲレイ出してきたところにも一言物申したいんですがそこは一言だけにしておいて、結局あれってエヴァのない世界に再編されたんですかね? だとすると、ニアサー後のごたごたがあったからこそくっついたって言われてたトウジ君のお話とか、ニアサーも悪いことばっかじゃなかったって発現の部分結局全部無かったことになるんかーいって感じではあるんですが。アスカとケンスケがここでもくっついたらそれもモヤるよね、だってシンジとはエヴァが無いとアスカと縁を紡げないのにケンスケは出会うのかよ……ってなるじゃん? まあファーストインパクト無いといないはずのカヲルとレイとか、ゲンドウ達と同年代だけどエヴァの呪縛で成長止まってたよ☆枠のマリの理解できない成長ペースとかあるしあそこはフィーリングで見るのが正解なのかなあ。パンフまだ読んでないから分かんないや。

 結局、シンジは成長しようが、アスカ達との繋がりはエヴァあってのものって感じの描かれ方も、まあ理解できなくはないけどちょっとモヤってはいる。作中、終わり際までのシンジの価値は、ほとんど10/10エヴァだけだったんだなという、まあそういうキャラクター像っちゃそうなんだけど、悲しいなあ。カヲレイはマジでなんなんだ?(2回目)

 いやあ今までは乱立するカップリング、特に強かったカヲアス派あたりにも「うんうんまあ解釈は色々あるよね」って余裕ブチかましてたのが公式にマウント取られるようになっちゃいましたねえ。とはいえ僕含むLAS派もLRS派も(シンアス、シンレイよりこっちの言い方が一般的なんですって)強い(?)オタク達なのでこれしきの事では怯みませんが、頭の片隅には常に「公式」の単語と共にあの駅がチラつくことになりましたね。これが人間のやることかぁ!? それも含めて、「いつまでもCP妄想してないでそろそろ卒業しなよ……」っていう映画だったと言われればそれまでなんですが。色んな意味で感情はグッチャグチャですはい。

 そんなわけで、何が書きたいのかいまいちわかんなくなってくるのは当ブログではいつものことですが、素晴らしい映画だったとは思うけれど二度は見れないでしょう。あの結末を知って序盤のケイスケハウスでの生活・アヤナミとのやり取りは見れませんわ。いつか笑って「こんな映画もあったなあ」とか懐かしみながら見れる日が来るんでしょうかねえ……。

 イマイチ締まってはいませんが、またなんか思いついたら書き足すかもということでひとつ。